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糖尿病の歴史10 (中世ヨーロッパの尿検査)

血糖が尿糖排泄閾値を超えて高くなると、尿に糖が出ます。しかしながらヨーロッパでは尿糖はなかなか知られませんでした。あのパラケルススも糖に考えが及んでいません。中世ヨーロッパで行われていた尿検査は主に色をみています。今回は尿の色検査(ウロスコピー)について紹介します。

ウロスコピーはまず特別な尿フラスコを用意します。尿フラスコは「厚さが均一、かつ色のついてない透明な瓶」で、上がすぼまっています。患者はこれに尿をとり、医師はその色をみて病気を診断します。置いておくと尿が濃くなり、温度の変化もあって色調が変化しますので、わりと速やかに検査を行います。尿の色をみることは、古代エジプト医学から始まっていますが、中世ヨーロッパ医学で強調されました。

中世ヨーロッパ医学の主流は四体液説です。四体液説は、4種類の体液(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁)に変調が起きた時に病気が生じると考える説です(ヒポクラテスの項参照)。この説に従えば、「尿は体内と直接に接触しており、とくに色は四体液と密接に関連している。それ故に尿は個人の健康状態を示す」と考えられます。尿の色はとても大切なのです。

ウロスコピーは大流行し、尿だけで病気の鑑別、年齢・性別さらには未来までわかるとされました。いくらなんでも行き過ぎですね。これに反対して大きな声を上げたのが、英国のブライアンです。彼は臨床経験が10年に満たない医師でしたが、1637年に「尿予言あるいはある尿瓶講義」という本を書きました。批判対象は、ウロスコピーを尿予言として扱って診療する人たち(藪医者、経験主義者)です。

少し脱線します。この本は表紙をみていてもなかなか面白く、「今まで英語を話す人によって出版されたことがない」とか「ロンドン居住、今はエセックスのコルチェスターに居住」とか書いています。今だったら本の帯に載る宣伝文でしょうし、新旧の居住場所まで書くんですね。藪医者はクワックと記され、こっそり使われるべき隠語が堂々と表紙に使われています(クワック→ガチョウの鳴き声→英語でダック→ドクターです)。

12章の扉には「尿だけで病気の診断をしてはならないこと。病人がどのように病気になったのか厳密に診察し、この卑しい習慣(尿予言)がいかにでてきたのかを知らないで、尿の判断をしてはならないこと」とあります。検査だけをみていてはだめですよ、という彼の言葉は今も当てはまります。


平成27年4月3日

糖尿病の歴史9 (パラケルスス 1493-1541)

パラケルススはルネサンス初期のスイスの医師・錬金術師です。ハリー ポッターで有名になった「賢者の石」を持っていたと噂される人です。錬金術というと胡散臭い印象がありますが、錬金術によっていろいろな化学物質が知られるようになり、 化学が発展しました。当時の先進科学です。あのニュートンも錬金術師です。

パラケルススは「古代ローマの医者ケルススを凌ぐ」という意味を込めてパラケルススと自称しました。本名はフィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイムです。バーゼル大学医学部教授に就任しましたが、ガレノス医学書、スィーナー医学書を焼いて追放されました。アルコール依存症であり、特にバーゼル大学から追放されてから飲酒が多くなったようです。

当時の主流だった古代ギリシア医学は四体液説を信奉し、「病気は体液バランスの異常」と捉え、病気そのものを考えることはありませんでした。薬も「病気に対する特別作用」でなく、「体液を調整する間接的作用」と考えていました。しかし病気そのものに効く薬があり、身体が如何に働き、治るかといった物質化学的な考えが出てきました。この考え方を推し進めたのがパラケルススです。彼は生体を複雑な異なる物質からなり、それぞれが理解でき、医薬によって影響できるものと考えました。この考え方を採用して医学は大きく前進していきます。ただ彼は「生」の力、自然の叡智、人たる霊性というものも重要視しました。その意味で、現在の代替え療法に似ています(ウッド)。

パラケルススは鉱水から塩類が析出するのを観察し、塩類が身体内の固体と液体を調整していると考えました。もし固体が液体から析出すれば、人体は鉱質化し瘡蓋化する。関節炎や結石はその特徴的な病気である。もし固体が不足して液体が多ければ、身体は液体過多になる。糖尿病がそれである。糖尿病患者の尿を乾燥させると白い残渣が残るとも記しています。

ところで、「ハリー ポッターと賢者の石」ですが、英国版と米国版でタイトルが異なっているのをご存知でしょうか。英国版ではHarry Potter and the Philosopher's Stone (ハリー ポッターと賢者の石)であり、米国版ではHarry Potter and the Sorcerer's Stone (ハリー ポッターと魔法使いの石)です。賢者の石は米国の子供たちには知られていないようです。


平成27年3月27日

糖尿病の歴史8 (イスラム:スィーナー)

次はイスラム世界のイブン・スィーナー (980-1037)です。ラテン語名はアウィケンナ、全名はアブー・アリー・アル=フサイン・イブン・アブドゥッラーフ・イブン・スィーナー・アル=ブハーリー。アリストテレス新プラトン主義(万物は一者から流出したものと捉える思想)を結びつけた哲学者であり、とても賢い人です。医学はアリストテレスより難しくなく短時間で習得したと自伝で書いています。

イブン・スィーナーの書いた「医学典範」はヨーロッパでも中世を通じて医学生の教科書として用いられました。ガレノスの医学書が20分冊の大作であったのに対し、医学典範は5分冊とコンパクトであり、学生は重宝したそうです。500年後のパラケルススは古い権威の象徴として「ガレノスの医学書」と「イブン・スィーナーの医学典範」を焼きました。なお医学典範には中国医学も引用され、幅広い内容を誇っています。

イブン・スィーナーは糖尿病について包括的な症状リストを記載し、壊疽やカルブンケル、結核も合併症リストに入れました。また、尿を乾燥させると蜜のような残渣が残ると記しています(タッタサル)。治療はフェヌグリーク、ルピン(豆類)、ワームシードなどの薬草を使いました。


平成27年3月10日

糖尿病の歴史7 (カッパドキア:アレタイオス)

カッパドキアのアレタイオスは2世紀頃の人と言われています。彼は「カッパドキアの」という形容詞をつけて呼ばれます。カッパドキアは現在のトルコの地方都市で、当時はローマ帝国の最北東の属州でした。カッパドキアは初期キリスト教の遺跡でも有名です。

彼は「慢性疾患の治療」という本の中で、糖尿病の症状を生き生きと描写しました。この描写は現代医学からみてもよく観察しています。糖尿病は英語で ”diabetes” と呼ばれますが、この言葉の起こりについても書いています。残念なことに、彼の本は16世紀半ばまで西洋社会に知られませんでした(ガレノスが引用していない)。

糖尿病は驚異に満ちた病気である。この病気はそれほど多くない。肉体・四肢が尿に溶けていく。その原因は腹水(水腫)のように寒と湿である。その行先はありふれたもので、すなわち、腎臓と膀胱である。患者は尿を作ることを止めることができない、尿の流れは絶えることなく、あたかも水道の蛇口から水が流れ出るごとくである。病気はゆっくりと進行し、完成するまで長い時間がかかる。しかし病気が完成すると身体の溶けかたは速くなり、死が間近になる。人生は嫌悪に満ち、苦痛なものになる。喉の渇きは癒されることがなく、過度に水を飲む。それでも大量に出る尿に見合うことがなく、尿の量は飲んだ水の量を超える。患者は尿を作ることも、水を飲むことも止めることができない。(タッタサル)

この病気は、サイフォンを意味するギリシャ語から "diabetes" と名付けられたように思える。なぜなら、液体は身体の中に留まることがなく、身体を梯子(はしご)のように使うからである。(ヘンシェン)。


「dia は〜を通して」、「betes は行く」 を示します。”diabetes” は「留まらずに通り抜ける」という意味の言葉です。「飲んだ水が変化を受けずにそのまま尿になる」という考えは、ガレノスの著述にも出てきます。梯子(はしご)は「人は梯子の下から上へ移動するが、梯子はそのままそこに残っている」という意味です。いきなり梯子がでてきてビックリしますが、ギリシア語の糖尿病と梯子は語根が共通です。なおサイフォンをギリシア語辞典で引くと、ディバイダー、コンパスなどが出てきます。2つを繋ぐ連結管のイメージで良いと思います。


平成27年2月23日

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