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糖尿病の歴史29 ミンコフスキー膵臓摘出実験 (1)

1889年、ヨゼフ フォン メーリング(1849-1908)とオスカー ミンコフスキー(1858-1931)が「膵臓を摘出すると糖尿病が発症する」ことを再発見します。

メーリングはクスマウルの弟子です。クスマウルは糖尿病性ケトアシドーシス昏睡の時の深く大きな呼吸、クスマウル大呼吸に名を残す人で、この病態にアセトン血症ということばを作った人です。メーリングはクスマウルの影響で糖尿病に興味をもち、1885年にフロリジン糖尿(フロリジンを注射すると、腎臓での糖の扱いが変わり、尿糖が出ます)を発見します。フロリジン糖尿自体は糖尿病と関わりがないのですが、その〜100年後にSGLT2阻害薬の開発につながります。彼はミンコフスキーと膵摘出実験をしたのち、バルビツール系睡眠薬研究に進み、1902年にエミール フィッシャーと 世界最初のバルビツール系睡眠薬(バルビタール)を合成します。

ミンコフスキーは今のリトアニア出身の人です。とても器用な人だったようで、1888年に世界で最初の肝臓摘出術(ガチョウ)を成功させ、肝臓手術の父でもあります。


1889年、ミンコフスキーは雑誌を探しに別の施設に行き、そこでメーリングと出会います。2人はリパニン(膵酵素製剤)の役割について討論します。メーリングは「膵酵素は脂肪分解に必要」と主張しますが、ミンコフスキーはこれに反対します。しかし議論するだけでは決着がつきません。2人は「白黒を明らかにする最も良い方法は膵臓摘出実験である」と考えます。このときメーリングは自分の研究所で膵管結紮術を行っていましたがうまくいっていませんでした。その日の午後のうちに手術の上手なミンコフスキーが、メーリングのイヌを用いて膵臓摘出術を行います。


メーリングは不運でした。肺炎をおこした義父を見舞うために研究所を数日不在にします。そのため「膵臓を摘出すると糖尿病が発症する」という発見はミンコフスキー単独の業績とされます。


平成27年11月10日

糖尿病の歴史28 ランゲルハンス膵島の発見

膵島(ランゲルハンス膵島)は膵臓にある内分泌器官です。膵臓の海に浮かぶ島という連想から膵島と名付けられました。膵島からインスリンが分泌されます。

膵島はパウル ランゲルハンス(1847-1888)が学生時代に発見しました(1869)。彼は小さい時から頭がよく、グラウエス クロスター学校(中等教育機関)で飛び抜けた成績を示し、最終の口頭試問を免除されています。彼は医学の勉強をイェーナ大学で始めましたが、膵臓観察はベルリン病理研究所で行っています。1867年夏に膵臓研究を始めますが、医学部賞を得るために研究を1年間中断します。医学部賞(神経皮膚疾患における知覚小体の研究)をとった後、1868年秋に研究を再開し、翌年1869年2月に「膵臓の顕微鏡的解剖への寄与」と題する学位論文を発表します。彼の論文につけられたコメントには、「彼の結論をみると新しいことは何ら発見していない、この論文に至った彼の努力を見てほしい」とあります。しかし、その論文の中に膵島を見つけたことが記されています。


膵臓には外分泌腺中に島状に分布する直径0.12-0.24mmの独立した組織塊がある。そこは周囲より豊富に神経が集まっている。働きはわからない。リンパ節かもしれない。


ランゲルハンス膵島以外にも、彼の名前を冠したランゲルハンス細胞があります。それは皮膚にある樹状細胞で、ランゲルハンスが1868年に発見しました。彼はその形から神経細胞と信じましたが、免疫に関係する細胞です。


平成27年10月20日

糖尿病の歴史27 19世紀頃の糖尿病

時代は200年ほど飛びます。19世紀頃の医学〜糖尿病はどのようだったでしょうか。

19世紀初頭から病理学が発展します。病理学は病気で亡くなった人を解剖して病気の原因を探りますが、 病理学では糖尿病の原因はわかりませんでした(当時は肉眼での観察です)。19世紀半ばに細菌学が勃興します。「糖尿病の原因は感染」と考えた人がいましたが、間違いでした。

生理学に新たな発見がありました。これまで「糖は植物由来、動物は糖を作ることができない。血液中の糖は食後のみ、あるいは糖尿病のような病的状態でしか認められない」と考えられていましたが、動物も糖を作ることが分かってきました

クロード ベルナール(1813-78)は (1) 飢餓状態でも動物の血液中に糖が存在し、(2) 肝静脈の血糖は門脈よりもっと高濃度であることにびっくりします。血液は、消化管→門脈→肝臓→肝静脈の順に流れます。肝静脈血の方が門脈血よりブドウ糖が濃いということは、肝臓が糖を分泌していることに他なりません。そして肝臓にグリコーゲン(分解するとブドウ糖になる)が存在することを発見します。

当時、糖尿病は不安定な精神、過剰な情欲と関連して発症すると考えられていました。糖尿病は頭脳労働者に多い。人ほど複雑な心を持たない動物は糖尿病が少ない。ベルナールは大脳第4脳室を刺激すると肝の糖産生が増加することを発見しました。そして「糖尿病は頭の病気」と結論します。

ベルナールは膵液の消化作用を発見した人としても有名です。


平成27年10月2日

糖尿病の歴史26 膵臓切除実験

17世紀にようやく膵臓と糖尿病の関わりが出てきます。ヨハン コンラード ブルンネル(スイス人解剖学者)が生きているイヌで膵臓の切除実験を行ったのです。ブルンネルはシルビウスやグラーフの「膵は消化機能に重要」という見解に反対で、反論するために実験を行いました。

イヌの膵切除実験はパリ留学中の1673年から行っています。技術的制限から十二指腸部の膵臓を残し、尾部を切除しました(両膵管が合流する手前の膵管結紮は行う)。手術を受けたイヌは口渇、多尿を呈しましたが、症状は一過性で完全に回復しました。この実験結果からブルンネルは「膵は消化機能に必要なし」と結論しました。


No1のイヌは術後、普通に食べ、飲み、排泄し、3ヶ月ほど生きて逃げてしまった。No2イヌは1ヶ月で逃げてしまった。No3イヌは4ヶ月後に死んだ。解剖すると、残膵は萎縮しており、結紮した膵管は6倍に太くなていた。No4イヌは膵管の結紮が困難であった。このイヌは2日目から食欲旺盛だったが、水様便であり、術後16日目に死んだ。解剖では残膵は指ほどの大きさであり、膵周囲に膿瘍があった。膵摘したイヌは全て術後に口渇を呈した。No5イヌは大量の排尿をし、地面を広く湿らせた(6ヶ月生存)。No6イヌは口渇があって、小川で水を節操もなく飲んだ。No7イヌも口渇があり、ミルクを貪欲に飲んだ。


ブルンネルは1683年に実験成果を発表しましたが、信憑性を疑われました。そのため1685年10月6日に再実験を行い、手順や経過をさらに細かく記述しました。


最後のイヌは術後4日目に餌を要求し、傷も良好だった。5日目に脱走して飼い主のところに逃げ帰った。飼い主は傷を見て怒り、喧嘩になった。返してくれるよう飼い主に頼んだが、断られた。それから半年の間、No8イヌはその家の番犬となり、勇敢で強く、素早く走ったり跳ねたりした。最終的に雌犬の助けを借りてそのイヌを誘惑し、連れ戻すことに成功した。待望の解剖を行うと、「残膵は萎縮しており、膵管が完全に閉塞している」ことが確認された。


膵切除後に現れた口渇、多尿は糖尿病の症状です。症状が一過性で終わったのは、十二指腸部の膵臓を残したためと考えられます。もしブルンネルが糖尿病に興味をもっていたら、この実験は大発見につながったと思われます。

ブルンネルは「膵臓は消化機能に重要でない」と結論したため、膵臓の役割は混とんとなりました。次に膵切除実験が行われ、糖尿病の発症が確認されるのは200年後です。


平成27年9月14日

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