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糖尿病の歴史35 インスリン発見前夜 ~血糖測定法の進歩 (2)

今回は1910年前後の血糖測定法の進歩を紹介します。多くの成果があいついで発表され、研究競争も激しかったようです。少し煩雑ですが、当時の雰囲気が伝わってきますので、端折りながら紹介します。

最初にバングの微量化学分析を紹介します(1907年発表、1913に論文)。


100mgの血液を濾紙にしみこませ、重量を特殊なねじり秤で測定し、蛋白を塩化カリウム、酢酸ウラニウム、塩酸溶液で蛋白を「固定」。濾過液を硫酸銅と塩化カリウムを含む溶液内で90秒ほど沸騰させ、その後急速に冷却。酸化を防ぐために二酸化炭素をかぶせる。糖濃度は還元銅をヨード液で滴定(バング考案の精密な目盛り付きの分析用ガラス管使用)、指示薬は澱粉。

バング法では正常人血糖は100-110mg/dl、糖尿病で200mg/dl以上と測定され、妥当な値です。バング法は大変な手間がかかり、繰り返して測定するには難があります。蛋白を「固定」する方法にも少し無理があり、ガードナーは抽出前の濾紙を90-100Cで3-5分熱することで蛋白を凝固させ、蛋白が濾紙から溶出しないよう工夫しました(この工夫で抽出時間を十分にとることができ、精度が上がるそうです)。バング法では濾紙の品質も重要です(当時還元物質を含まない濾紙はあまりなかった)。



1908年にミカエリスが蛋白を除く方法に「沈殿法」を導入しました。ミカエリス-メンテン定数(酵素反応定数)で有名なミカエリスです。ミカエリスは我が国とも関わり合いがあり、1922年に愛知医科大学(現在の名古屋大学)の教授に就任しています。彼はバートランドの測定法を改良し、1mlの血液で可能な血糖測定法を開発しました(1914年)。

ミカエリスは「血糖は蛋白質に結合しておらず、自由な状態で存在する」ことを見つけました。とても大切な発見です。古い方法の多くは「沈殿した蛋白の洗浄作業」(ここで糖を喪失する可能性)があり、新しい濾過液を用いる方法は「蛋白の塊に糖が吸着していない」ことを証明する必要があったからです。

ミカエリス法では糖が酸化第二銅を酸化第一銅に還元する性質を利用し、「沈殿した酸化第一銅を分離」して糖を測定します。しかし糖が少ない時は酸化第一銅の沈殿量が少なく、うまく測定できません。ガードナーは蛋白分離と沈殿物分離のそれぞれに工夫をこらし、蛋白分離には濾紙とリネン綿、沈殿物分離には特別に調整されたアスベストウールを用いることでうまくいくと発表しました(1914)。


平成28年3月3日

糖尿病の歴史34 インスリン発見前夜 ~血糖測定法の進歩 (1)

100年ほど前まで血糖はなかなか測れませんでした。血糖が尿糖より薄いこともありますが、 血液中の蛋白質が糖測定の邪魔をするからです。蛋白質を除いて糖を測定しますが、始めの除蛋白が難しかったようです。当時は血糖を正確に測ろうとすると、少なくて10ml、望ましくは25mlの採血が必要でした。この採血量の多さがインスリンの発見を阻んでいました。

1910年代になり、わずかの血液で血糖が測定できるようになりました。このおかげで、繰り返して、また小動物でも血糖を測ることができるようになりました。インスリン発見競争では、あちこちのグループが「膵臓抽出物が糖を下げること」をみていますが、最後の決め手がでませんでした。その中で後発組のバンティングとベストがインスリンを発見します(1921年)。彼らの成功の理由は「血糖を繰り返し測定して研究の質を高めた」ことにあります。彼らが認められたもう一つの理由は「 ヒトに投与可能な精製品を作り上げたこと」ですが、これはコリップの功績です。


平成28年2月18日

糖尿病の歴史33 インスリンの命名(1909年)

膵臓を摘出すると糖尿病が発症することが明らかにされ、膵島が糖尿病に関与しているらしいことまでわかってきました。しかし膵臓の役割はまだまだ不明確でした。「糖尿病は神経の病気」とするクロード ベルナールの呪縛が解けておらず、膵摘後の糖尿病も腹部神経叢が障害されたからだと考える人が多かったのです。

その中でインスリンが命名されました。命名者はベルギーの生理学者 ジーン ド メイヤー(1878-1934)です。彼は膵島に「血糖を下げるホルモン」があると推定し、1909年にフランス語で"insuline"と名付けたのです。1916年にはエドワード シャーピー シェーファーも同様の考えを示し、同じくインスリンと名付けています(参考:1921年にインスリンを発見したバンティング、ベストはアイレチン(Iletin)と呼びました)。

メ イヤーは膵臓の抽出物が糖尿病(膵臓摘出動物)の尿糖を下げ、症状を改善させることを見出しました。この抽出物は膵管を結紮し、膵臓が萎縮したのちに調製したものです。さらに肝グリコーゲン合成が膵臓の抽出物によって直接的に促進されることを発見しました。糖低下作用を抑制する血清も開発しています(インスリン抗体?)。彼の研究は第一次世界大戦によって阻まれ (研究所は死傷者処理所に衣替え)、先に進むことができませんでした。

平成28年1月25日

糖尿病の歴史32 糖尿病では 膵島に異常 (2)

レオニード ヴァシリーヴィッチ ソボレフ(ロシア:1876-1919)は条件反射の発見で有名なパブロフの弟子です。彼はオピーとは独立に、膵島と糖尿病の関連を発見しました(1901:膵管結紮時の膵の形態学的変化について。糖尿病や他疾患において)。これは彼の学位論文です。

膵管を結紮すると外分泌腺が萎縮しますが、膵島は生き残ります。彼はこの実験をウサギ、イヌ、ネコ、雄牛、子牛、羊、豚、鳥などさまざまな動物種で行いました(パブロフもウサギ3羽、実験に協力しています)。子牛の膵臓は外分泌が未発達であり、膵島が大きく、X因子(膵島から分泌されるホルモン:インスリンのことです)の抽出研究に適していることを見つけます。膵移植実験や人の解剖も行いました。

彼は「糖尿病を患っていない場合、膵島は正常である。すなわち、いろんな有害な影響を受けても、膵の消化腺部位よりかなり丈夫な部分である」、「15人の糖尿病患者の検討では、膵島は非常にもろい臓器である」ことを見つけます。

残念ながら彼の研究はこれ以上進みませんでした。多発性硬化症の影響、無理解な上司 (糖尿病は神経系の病気であるという考えで凝り固まっていた)、血糖検査に20ml必要という当時の実験技術などがその理由とされています。

注:糖尿病が神経系の病気である、という考えはクロード ベルナールの考えです。クロード ベルナールは神経系が病的に肝臓に作用し、肝臓が糖を血中に過剰放出することが糖尿病の原因と考えました (糖尿病の歴史27)


平成27年12月21日